えびすさんのエアコン修理
2シーズン前から動かないエアコンを修理する気になり、メーカーに電話をしたらすぐ予約がとれた。そのあと保証書をよくみたら、販売店の長期保証がついていて、期限が今年の秋まである。メーカー修理をキャンセルして、販売店経由で依頼をしなおしたら、同じ日に予約が入る。来る人は同じなのである。
実際に来た人は、年格好からして蛭子能収似であった。蛭子さんの見立てでは、最初の設置工事がまずく、ガスが漏れている。「お客様〜」と呼ばれて行ってみると、ガス漏れ探知機のようなものを片手に「今やってみますから、見てて下さい」というので見ていたが、探知機は一向にガス漏れを探知しない。ガスが漏れている場合はピコピコピコと鳴るのに、ピー、というままである。
蛭子さんはしばらく機械をみていたが、急に「あ、これもう電池ないハハハ」といい、しかし機械に頼らずとも長年の経験により「間違いないです」と断言した。そのあと、車を止めて1時間なので「あと5分作業をして」から車を見に行き、ついでに電池を買って戻ってきた(がやっぱり鳴らなかった)。
修理はすぐおわり、また「お客様〜」と呼ばれたので行くと、エアコンの管を覆うテープを巻いていた。脚立に乗って巻きつけるところを見ていてほしいようなので見ていると、台に乗った瞬間にせっかく巻き取ったテープくるくると手放した。さなだ虫のようなテープを拾おうと近寄ると、「ああっ、お客様っ。お願いできますか」と必死な声が頭上から声がした。しかし蛭子さんの修理はたしかで、なんども担当者の名前をまちがえたが、販売店に料金の確認もしてくれた。本来の部屋で仕事ができて非常に快適である。
物忘れ問題の解決
うっかりしていると、ふた月ぐらいたちまち経つ。
物忘れが度を超して来て、そばについていないときは9割の確率で鍋を焦がし、仕事の出番のときに必要なものを5割の確率で部屋に置き忘れ、買い物から帰ってしばらくしてから、半分溶けかかった冷凍うどんが玄関先で発見されたりしていたので、ついに「物忘れ外来」に行った。
街中の小さな診療所だが、パーキンソンの外来もあってなかなか混んでいる。わたしは言うつもりのこともいつも言い忘れるので、言い忘れないようにメモに書いたら案の定バッグの中に入っていない。
先生の手配により、歩いて5分ぐらいのところにある別のクリスタルな施設(名実ともに)でMRIを撮って翌日また行くと「脳の委縮は一切」なかった。非常に良い先生で、何か常に抱えている大きなストレスはありませんか?その方面の医師を紹介しましょうか?と訊いてくださったのであるが、「大きなストレス」はまったく思い当たるので、自分で解決しますと答えて、以来わりと元気である。
macbookairの近代
現在、諸般の事情によりノートPCはmacbookairの11インチとdynabookを使用している。macbookairは眼・肩・腰に悪いので、長い書きものをするときには使わないようにしているが、資料を広げるときにはコンパクトでよい。しかし、資料を広げるときは往々にして昔の資料であり、書き写すときも昔の字をうつす。macbookairは昔の日本をよく知らないので、変なものを出して平気でいるからちょっとバカにしたくなり、国産のウインドウズには教えている昔の日本語のつづりや単語を教えないでいる。macbookair(正確にはgoogle)が日本の近代を知るよう今から育てた場合、どのていど将来性があるであろうか。
12月の雨の日
毎夜、ねこに腕枕をして寝る。起きると、反対側の腕にねこがつかまって寝ている。至福なので起きたくないが起きる。
大瀧詠一の一周忌で、NHK第一の放送を聴きながら年賀状を書き、ちょうど十時に仕上がったのでBSプレミアムで「風街ろまん」の特集を見る。細野晴臣、松本隆、鈴木茂が出演。「風街ろまん」のマルチトラックを聴きながら話す番組。細野晴臣は急に年をとり、鈴木茂は変わっていない。
そのレコードをマルチトラックで聴きなおせば、シンプルで美しい。わたしの大好きな鈴木茂の「花いちもんめ」の大瀧のコーラス。その大瀧詠一がいないので、茂がそっと感謝しただけで、誰も大瀧の話をしない。松本と細野は60年代の東京の原風景についてぼそぼそ語り、風街の意味をいつになく強く語った。大瀧が生きていたら、この番組は実現しなかったかもしれず、それはひとつの追悼である。
しかしオールタイム・ベストに収録された、「12月の雨の日」(シングルバージョン)は本当にすばらしい。