悪妻について
土曜の夜、ローマ人が大阪に来たので、ここ数日はせいぜい悪妻ぶりを発揮した。
悪妻と名づけるのは大抵夫の周辺にいる男子ときまっている。しかし、鏡子夫人による『漱石の思い出』(新潮文庫)を読めばさもありなんと思い、色川孝子『宿六・色川武大』(文春文庫)に至っては、あまりの過酷さに同情を禁じえない(色川夫人は悪妻とは呼ばれていないのであしからず)。
色川孝子さんは、お嬢さん育ちの並外れた美人であるのに、何をしているのかわからない年上の従兄に半生を捧げた。24時間誰かが出入りする家でナルコレプシーと引越し病の夫のため、一日5食、大量の食事をつくる。色川家に麻雀を打ちに来る誰かは、彼女を使用人と思っていた。ほとんど壮絶である。
一体、外からみて破天荒な魅力的をもつ人物(男であることが多い)は家族に苦労がある。それを言わないのは、古今亭志ん生夫人のおりんさんぐらいである。
わたしの場合はそういう複雑な事情はないので、誰が見ても単なる悪妻にすぎない。すべての道はローマに通じているが、東京からは通じていないから、ローマ人は今朝飛行機で帰った。