東京brary日乗

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さよなら

brary2006-01-28

10年前の暖かな初夏の土曜日、郊外の家の庭に、突然子ねこが現れた。毛並みは明るい茶と黒でやせっぽち、どこでどんな目にあったのか、ちいさな頭は血まみれだった。大怪我をしているのに、顔いっぱいに口をあけて、元気よくにゃあにゃあと鳴きながら擦り寄ってくる。わたしのジーンズには茶色いしみがついて、洗っても落ちなかった。
連れて行った病院で名前をきかれ、こぶだらけなのでコブとなったその子は「奇跡的に」命をとりとめ、一週間して戻ってきた。殊のほか賢く敏捷で甘ったれのコブはたちまち家中のアイドルとなって、ねこを可愛がることのなかった父までが「こんぶ、こんぶ」と呼んで溺愛した。


夕餉のおかずに魚を買ってくると、流し台の横に座って捌き終わるまでじっと見ていた。
隙あらば脱出し、とかげをくわえて帰ってきた。
椅子を横取りし、机の上にあるものを片端から落とし、仕事の邪魔をした。
父がひとりで具合を悪くしたとき、心配そうにまわりをぐるぐる回って励ましていた。
母が薬のせいで一時的に人事不省となったときも、隣で寝るのをやめなかった。
人生で最大の困難に直面したとき、横になって泣いているわたしの背中をどん、と押した。


でも、どれほど悲しいことがあっても、もう慰めてもらえない。
煮干と、鰹と、リッツのクラッカーが好きだった。


2006年1月28日。冬晴れの朝、こんぶ逝く。