生駒山の家の処分が決定したので、7時の新幹線に乗って片付けに行く。
生駒山の家には、住むことなく逝った人と、後添できた人がいた。姑は華美を好まない人だったが、自分で働いてつくった着物が何枚もあり、長崎の呉服屋のたとう紙に包まれている。下の義姉の手配ですでに血縁の方々にみていただいてあったので、残りを義姉ふたりと分けることにした。わたしも自分で着られるようなものをいくつか、ありがたく頂戴す。
着物を自分で誂えたことはないが、誰かが愉しみにつくり、長い時間を経てまた袖を通すことができるのは、着物のよさである。