東京brary日乗

旧はてなダイアリー「東京brary日乗」から移行しました。2019/2/28

リップクリームの思い出

寝る前に明日の支度をしていて、突然どうでもいいことを思い出した。
小学生のころ、一緒に電車通学していた友だちがリップクリームを持っていた。70年代前半なので、今のようにメディカルリップなどというものはなかったと思われる。少なくともわたしは初めて見た。友だちはセンスのよいお金持ちのお嬢さんで、ピンクに白い小花の模様の小さなリップクリームは、たいへんよく似合っていた。
調査すると、荻窪駅東光ストア(当時)にそれはあり、キスミーの製品で、ケースはピンクと水色がある。しかし、東光ストアの二階の化粧品売り場でそういうものを買うのは、非常に隠微な感じがして、もう幾日もながめては、買うかどうか悩んだのであった(結局水色のを買った)。
次の段階では、キスミーのシャインリップを買うか否かのステップもあった。キスミーは今でもシャインリップを出しているのかどうか調べたら、限定復刻版が出ているのを知った。
大学生のときはまだ「ワイン」を使っていたと思うが、いつやめたのかは定かでない。

心斎橋行の切符買って

朝、お茶の水の眼科まで行くと非常に混んでいた。しかし検査が済めばそのあとはスムーズで、正午前に帰宅。
先週は、千里丘の義姉の家に泊めてもらい、間違って持ってきたひざ下ストッキングがずるずるするので、梅田の無印良品で履き替えてから、本屋を見るため心斎橋に出た。本屋はアメリカ村の入口にある。東京で場所を調べたとき、アメリカ村近辺の治安に問題があることを知った。アメリカ村に関心がないので、前回いったのは高校の卒業旅行で友人につきあったときだから、30年あまりすぎている。来る女子大生活のためにサーファーの店でトレーナーを購入する者があり、そういうことを思いもしないので驚いた記憶がある。

30年ぶりのアメリカ村周辺は警官だらけで、80年代のニューヨークのようであった。しかし本屋は思っていたよりはるかに大きく、はるかにたくさん本があった。そこでしか売っていない本を買って梅田に戻り、催しに出て東京に帰る。

こだま号で行く

一週間は驚くほど早い。先週の金曜日は、新幹線こだま号に乗った。大阪で催しがあるのに、以前から見たいと思っていた資料を京都近辺で調査していく計画をしていたら、豊橋の書店が140周年記念で昔のものを展示していることを知った。京都での調べものは、郊外にある資料を市内の図書館に移してもらうことができたので、時間に余裕ができたから豊橋にも行った。

豊橋の駅に降りるのは、中学校の修学旅行以来である。修学旅行はなぜか名古屋方面で、なぜか豊橋で降りた記憶がある。こだま号に乗るのは、五年ぐらい前に静岡に行って以来である。しかし、平日のこだま号自由席はとてもすいていて、車内販売もない。昇降客はまばらで、新幹線なのにローカル線に乗っているような感じがした。

豊橋から、またこだまで京都に行き、同志社大学で調査を実施した。同志社大学は学園祭の最中で、バンド活動などが行われていた。資料のあるのは隣のおとなしいキャンパスだったので、おとなしく見た。人文研の雑誌はまえによそで見ているが、同志社のは関わった「当人」の形跡があるかもしれないので見たかった。形跡があったのでコピーをとる。女子大の雑誌は、郊外のキャンパスから運んでもらった。思いのほか見応えがあり、2時間かかって100枚ぐらいコピーをとって終了。
図書館でコピーをとっている時間は、おおむね幸福である。

骨と筋肉のあいだ

うっかりしていたら、また半月も更新をとだえさせている。先週末は、渋谷駅が変わってからはじめて東横線に乗ったり、一等賞を選ぶ係をしたり、古い図書館用品のデータベースに見入ったり、かけ足で須賀敦子展を見たら、須賀邸がおじさんの家の近所だったり、帰りにその駅で降りて駅前の書店に入ったり、日比谷公園で夜の催しに出たり、翌日は東洋大学に行ったりして、元気よくすごした。
思えば火曜日はストールを巻くのもつらくて、水曜日の朝は、あずきのやつでぎりぎりまで温めて出る状況だったのである。金曜の夕方、もこみち先生のところにいくと、首の付け根から腰まで「骨と筋肉の区別がなく固まっている」といわれた。もこみち先生の治療により、あわやというところで偏頭痛回避。きょうは見事に好転反応が出たが、明日は仕事ができるかもしれない。

もこみち先生

勇んで早くから仕事に行ったら、エレベータの中で若い人に「今日は金曜日の日ですね」と言われた。連休などにより、曜日調整が行われていて、今日は金曜日扱いの日なのだった。金曜は出番がないことになっている。
損したような得したような気持ちで、一階まで降りたエレベータをまた上がって、三時まで部屋で仕事をして帰り、家で読み物をして、暗くなってからマッサージに行く。
治療院に行くのはひと月以上ぶりである。タオル枕により、劇的に首凝りが改善してから、もう行かなくていいかもと思っていたが、金曜日あたりに本当は行きたい感じではあった。しかし「アクト・オブ・キリング」を見に行ったのと、週末は込んでいるのとで先送りしていたら、不覚にも強烈な頭痛その他により月曜の仕事を休む事態となった。
治療院は自転車で5分ぐらいのところにあるが、最初の人(三ツ木清隆似)が去年の今頃よそに移ってしまい、現在担当してくれているのは速水もこみち似の長身である。もこみち先生は「辛くなるちょっと前に来てくださいね」といつも言い、わたしもそう思うのだが、だいたいは「辛くなるちょっとあと」である。しかし今回はいつもより「(肩甲骨の)反応がいい」ということであった。

アクト・オブ・キリング

早稲田松竹で「アクト・オブ・キリング」を観る。春に先生がメーリングリストで薦めていて、それは滅多にないことなので観ようと思っているうちに、機を逃していた。今週だけ、早稲田松竹にかかっていた。早稲田松竹が現在のような運営になってから、行くのははじめてである。椅子は格段によくなっていた。
アクト・オブ・キリング」は、大量の人を拷問して殺した人の映画である。そのことを再現する映画を撮るという提案に、登場人物たちが主体的にかかわるが、その完成形を本人たちが納得しているのかはわからない。正視しがたい場面もある。そして、彼らをトークゲストに招いてぺらぺらと喋っている、アナウンサーの女の子が一番こわい。